昨日は祖母の祥月命日でした。
お坊さんを呼んで お経を読んでいただくのです。
たまたま息子が来ておりまして こういう行事を実際に見せ 自分も担当することになる ということを学ばせることができてよかったと思っております。
祖母は大正3年?明治村片原一色から祖父のところへ嫁いできました。
ところが祖父はむすめが生まれ3年後腎臓病で亡くなり、母一人・娘一人の厳しい時代を過ごすのです。
田畑は部落の人に貸し、年貢で食べていたようですが、祖母は 座敷に蚕棚を設け 蚕で食べようとしたといいます。
根性の人で 座布団を二つ折りにしたように腰が曲がり 苦労の跡がうかがえました。それでも肥え桶をかついで 野菜を作っていた記憶があります。
老年はあちらのお寺 こちらの人家でお説教があるのを楽しみに おば車を押して お参りに行ってました。
あのころは有名な説教師がいて 足が弱くなってからは 母がリヤカーに乗せて 連れて行っていました。
親鸞聖人の話をよく聞かせてくれましたが 内容は覚えていません。
今年が48回目の祥月で 再来年は 弔い上げです。
戒名を過去帳に移し、お骨を土に返すのです。
お坊さんを呼んで お経を読んでいただくのです。
たまたま息子が来ておりまして こういう行事を実際に見せ 自分も担当することになる ということを学ばせることができてよかったと思っております。
祖母は大正3年?明治村片原一色から祖父のところへ嫁いできました。
ところが祖父はむすめが生まれ3年後腎臓病で亡くなり、母一人・娘一人の厳しい時代を過ごすのです。
田畑は部落の人に貸し、年貢で食べていたようですが、祖母は 座敷に蚕棚を設け 蚕で食べようとしたといいます。
根性の人で 座布団を二つ折りにしたように腰が曲がり 苦労の跡がうかがえました。それでも肥え桶をかついで 野菜を作っていた記憶があります。
老年はあちらのお寺 こちらの人家でお説教があるのを楽しみに おば車を押して お参りに行ってました。
あのころは有名な説教師がいて 足が弱くなってからは 母がリヤカーに乗せて 連れて行っていました。
親鸞聖人の話をよく聞かせてくれましたが 内容は覚えていません。
今年が48回目の祥月で 再来年は 弔い上げです。
戒名を過去帳に移し、お骨を土に返すのです。
by goldpony767
| 2011-02-14 05:23
| 行事